初めての京都 活元会 ②
みなさんこんにちはー◎
このページを開いて下さり
ありがとうございます🙂
整体が持つ価値に
ひとりでも多くの方が触れる機会となれば
幸いです。
大変遅くなりました💧
前回の活元会のつづきです。
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【活元運動とは】
昭和20年代に野口晴哉が提唱した野口整体の要素(活元運動、愉気法、体癖論、潜在意識教育論、整体体操、整体操法論)のひとつ。身体自らが不調を回復する動き、またはそのための体操法・行法。
生を全うしようとする人間の裡にある力をより敏感にするための※錐体外路系を利用した自己訓練法。(参考:ウィキペディア、整体協会より)
※【錐体路系】大脳から脊髄を通って下行する、随意運動経路。
(意識して身体を動かす働き)
※【錐体外路系】錐体路系運動外の不随意運動系路。錐体路系に協調して働き、錐体外路系に障害があると、錐体路系運動の働きも影響を受ける。
(意識で動かす事の出来ない働き…あくび、くしゃみ、寝相などの反射運動)
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(とうとうやってきたんだ…)
野口先生の写真、
野口先生の掛け軸、
そして野口先生に直接ふれ、その指導を受けられた、目の前の鬼塚先生の姿を見て、
柔らかな感動に似たものが湧き上がり
噴き出してくる汗を感じながらも
清々しく、心地よい。
そんなふうにこの場に身を置くだけで
清々しさを与えて、
ここにたどり着くまでの間の重苦しさはなんだったのか?
つきものが取れたように、
すっかりそんなものは無くなっていた。
自分の中の未知、その暗闇に何が潜むのか…
今明るい場所にいて、相対している。
人から見れば大袈裟で、理解できないであろう
恐れを乗り越えてここに来たが、
どうして長い間、この場に関わることに
敷居の高さを感じ、自分自身を拒絶されるように思っていたんだろう?
そう私に思わせたものはなんだったのだろう?
単純に、活元運動というものが、文明と理性という目線から見ると、随分と野性的すぎる感じがして、男性から見た出産とは、こういうものではないか…という近寄り難いものがあるのも確かである…
よくわからないが…
この思いは長らく抱いており、
最初の印象とは正反対の思いを抱いた事は、
人生の限られた貴重な時間を考えると
大きな損失だったのかもしれないし、
今が最大のタイミングだったのかもしれない。
けれどもまた、そんな風にまず、恐怖を感じたり、悪い方へと考えてしまうことは、ほんの小さな幼少期からの癖であることを、ふと思い出したりした。
…………………
何十畳あるのか分からない、広い空間。
目が悪いので顔はよく見えないが…
紺色の作務衣を着た鬼塚先生が
スッと座って、静かな声で話していらっしゃる。
そこから感じる気に、余分なものは無く、
静かでブレがない。
そして、柔らかく、優しい。
まるで一本の軸が
ただスッと伸びているような…
そしてその軸が、どこまでも伸びているのだ。
そこにエゴは感じられない。
「今日は初めての人が来るというから、話を用意しておいたんですが…」
やっと座った私の方を見て、
「活元運動は、初めて?」
「九州の○○ 先生が大阪に来られた時に…」
「そう。」
そう言って話に戻られる。
少し聞き取りにくく、
言葉を自分の中に残す事は出来なかった。
それでも、話しておられる姿を見ながら
時折和やかな笑いを交え、
そこに、「度・機・間」を見る。
お話の後はいよいよ活元運動であるが、
その前に準備運動がある。
ひと通りの準備運動をとても丁寧に説明しながら進めて下さる。
「側腹はね、食べ過ぎていると痛くってつまめないですよ。そんな人いない? 今日の人達は優秀だね。」
「今日は、音楽をかけますよ。」
気持ちよく準備運動を終え、手のひらを膝の上に置き、暝目し、活元運動が出るまでポカンとする。
ほんのしばらく目を閉じて活元が出るのを待っていると、すぐに鬼塚先生がそばに来られて、
「初めてですね、誘導します。」
と言って、活元運動が出やすいように、誘導のための手を添えて下さる。
その手から伝わるものは、
やはり柔らかさと力強さ。
安心して委ねられる中心を感じる。
(ん………⁈ 動く……動く……!)
私は、あまり活発に活元運動が出ない方なのだが…
「鬼塚先生の誘導はすごいよ。」
と聞いていたのはこれなんだなと思う。
ごく自然に体の動くままに任せてゆく。
自由で心地よい。
(活元とはこういうものだろうか……)
動くまま、感じるまま。
そんな風に思いながら、
だだその動きにゆだねていた。
…………………
(つづく)
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長文に最後までお付き合い下さり
ありがとうございました✨